アレキサンダー大王の伝記を読んで
平成18年5月18日
北陸電力株式会社
森 広志
私は、子供のころから何度かアレキサンダー大王の伝記を読みました。
近年も、映画を見た関係で、2冊ほどアレキサンダー大王に関係する本を読みました。
アレキサンダー大王は、2360程前、新興の小国マケドニアの王子として生まれました。
幼少ころより、母オリンピュアスから英雄アキレスの血筋を引く神の子として育てられ、10歳の頃には、ブーケファラスという荒馬を乗りこなし大人たちを驚かせ、長じてレスリングや槍の名手としても知られました。
学問は万学の祖として知られるギリシャのアリストテレスから、哲学、弁論術、医学、博物学、科学、倫理学、文学、地理天文など、幅広く学んだと思います。
兵法については、父フィリッポス2世、マケドニアのリシマコス将軍から学び、イリアスを座右の書とし又、その後の治世に反面教師として役立てたと言われています。
才能に優れたアレキサンダー大王は、父王フィリッポス2世亡き後、近隣諸国を平定、エジプトをペルシア帝国の支配から開放、東方遠征では、世界最強のペルシア帝国と対峙しイッソス・ガウガメラなどの戦いに連勝、遠くインドにまで遠征しました。
常に自ら先頭に立ち世界制覇を成し遂げたアレキサンダー大王の偉業には驚かされますが、文化、宗教、言語の異なる広大な帝国を治めるため、各地にアレクサンドリアを建設し、地方分権型の保護領政策を行っていたことは興味深く、政治家としても優れていたと思います。
アレキサンダー大王は、遠征中に瀕死の重症を三度負い、バビロンに帰還後に熱病に犯され32歳で生涯を閉じます。死後、東方遠征によりギリシャ文明とオリエント文明が融合し、ヘレニズム文明が起こったことは有名ですが、その後、ヘレニズム文明とキリスト教が融合しビザンチン文化が生まれ、ルネッサンスにも多大な影響を及ぼしたといいます。
死後も多くの人々に影響を与えたアレキサンダー大王ですが、もし長命であれば、列強の植民地政策にも良い影響を与え世界史も少し変わっていたのではと思いました。
最後に、私は、何故アレキサンダー大王がかくも強かったのか長く疑問に思いました。
最近、座右の書イリアスを知り疑問が随分解けました。イリアスは、3500程前のトロイア戦争についての興亡が叙事詩として綴られおり、治世の対処法も含めアリストテレスから学び、以後、世界帝国建設構想に影響を与えたのではないかと推測します。
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