監視社会と衆愚政治
平成18年6月30日
崎山税理士事務所
崎山 強
●監視社会の恐怖―エネミー・オブ・アメリカ
山手線に乗っていたら、「密告に報奨金を差し上げます」という政府系機関の吊り革広告に目を奪われた。知的財産権関係については、日本もベルヌ条約やパリ条約に批准し、WIPOなどにも加盟している。だから、権利保護のための方策も国際的な義務でもあるわけだが、何か危険なにおいがするのは国家的に「密告」を推奨するということだ。
ふと考えてみると、ちょっと危険なにおいのする事件はたくさんある。
独占禁止法の課徴金減免規定。「談合したら、一番に名乗り出て他の談合者を密告しなさい。そうすれば、あなただけが助かります。」
盗聴の合法化、おとり捜査の適法化などの刑事訴訟関係。姉歯事件に見られるように、今の警察は堂々と別件逮捕をおこなう。さらに共謀罪の創設により権限を強化するつもりだ。盗聴法反対の会議に参加した裁判官は懲戒の対象とされた(寺西判事補事件)。
憲法の改正論議。強制されなくても愛国心は自ずと醸成されるものである。自衛力を強化するのも、今の憲法でできないわけではない。国民との対話を省略しようとするから話がややこしくなるのだ。
ちょっと人と違った行動をすると、不審者と思われ、即座に警察に通報される。先日も、うちの社員が私の自宅に書類を届けにやってきて、父の帰りを車中で待っていたところ、家内が不審者と勘違いして小さな騒ぎになった。
電車に乗るとき、女性の傍には近寄らない。階段を上るときは足元しか見ない。エスカレータでは携帯電話を触らない。女子高校生とは視線を合わせない。困っていそうな人を見かけても、安易な気持ちで助けようなどと思ってはならない。官報には道端で死後何日もたった人が毎日のように公告されている。
友人の会社に個人名で電話をすると、どんなご用件でしょうかと疑われる。
個人情報保護法や情報開示など、個人のプライバシーを守るという方向性はわかるが、いろいろ行き過ぎのきらいがあることについては誰もがうすうす感じているところではあるまいか。全体的に社会が疑心暗鬼状態に陥っていることは明白である。
IT大手のF社では、裏づけのない財務支出をチェックするソフトを開発して売り出すそうだ。疑心暗鬼状態を逆手に取ったビジネスで、商魂たくましい(ひょっとしてやけくそ?)。昔のアメリカ映画でエネミー・オブ・アメリカという管理社会の恐怖を描いた作品があったが、少しずつ少しずつ、日本も友達を信じられない時代に突入しているのだろうか。一つ一つはつまらない笑い話であっても、次第に羊のように飼いならされて、管理社会の中にがんじがらめになっていくような、漠然とした恐怖を感じている。
●衆愚政治―多数決の恐怖
もう一つ恐ろしいのは、犠牲者を求める社会心理である。罪のない誰かのひとことが増幅され、巨大なうねりを作る。中国が日本バッシングをしたのもWEBが中心的な役割を果たしたという。限られたマスコミが巨大な社会的権力を持ちえた時代はよほど安心だった。限られたマスコミに報道倫理を説けば結論が出たからである。
しかし、ネット社会は違う。2チャンネルの激烈苛烈な書き込みを見て、私はいろいろと考えさせられた。抑圧から解放された強大なエネルギーがそこには存在している。集団は必ず暴徒化すると論じて、さんざん非難された最高裁判決があるが、必ずしも冗談では済まされないような空恐ろしさを今、あらためて感じざるをえない。
組織には、個人と異なる論理があるものだ。仕事柄、官公庁と戦うことが多いが、一人一人は話のわかる人間であったとしても、組織の論理に染め上げられてやってきたときには最悪の相手となる。WEB社会は、ハイパーリンクによって本当に蜘蛛の巣(WEB)のように関連付けられ、体系化され、人知の及ばない拡大を続けている。SF映画のようにコンピュータが擬似人格を持つようなことを私は信じてはいないが、恐ろしいのは人心を煽り立て、撹乱し、駆り立てる強大な力である。そしてそれは、普通の人の無邪気なイノセンスから怒とうのように始まるということである。
NHKは、コンピュータでブログなどをサーチし、流行語を常に検索している。国会でも、「国民の」意見として、WEBなどの書き込みを取り上げている。官公庁でも電子政府と称して次々と聴聞手続などのネット化を推進している。常に多数意見が集約されて、それが国民の総意であると勘違いされたとしたら……。
●結語―天邪鬼の礼讃
もはや流れを止めることはできない。ボーダレスのアングラ世界は、完全に社会の市民権をえた。私は医者ではないが、ITコーディネータの端くれとして、このIT社会に処方箋を書かねばならないとしたら何と書くか。
それは、個人には多様性があり、十人十色であること、人と人とは基本的に考え方が違うことが当たり前であることをめいめいが認識することだ。悪いこともよいことも、人によって温度差があってよい。皆が、右へならえで犯罪者を憎まなくてもよい。皆がクールビズにならなくてもよい。皆がワールドカップの話をしなくたってよい。株式投資をしていなくてもよい。タバコをすってもよい。結婚しなくて負け犬と呼ばれてもよい。「チョイわる」でなくてもよい。臭いオヤジと女子高生に笑われてもよい。甲斐性がないと馬鹿にされてもよい。借金を返せないで足を投げ出したってよい。カッコウをつけず、どろくさく、はいつくばって、自分の人生を歩むことに目覚めよう。人にあわせるばかりじゃ疲れてしまうよ。
(文責 崎山強)